清凉里(チョンリャンリ)588(オパルパル)、、、、、韓国ソウルで最も歴史ある代表的な風俗通り「588(オパルパル)」が間もなく、、、地図上から消えて無くなると言われています。
もちろん、そこで働くアガシもいなくなり、、、どこか別の店に移ることでしょう。
夜になると紅灯を明るく照らし、韓国男性の欲望を刺激してきた、ソウルの代表的な風俗 夜遊び「清凉里588(チョンリャンリ・オパルパル)」・・・
かつて、多くの酔った客と孤独な若者がアガシと関係を結んだ清凉里(チョンリャンリ)588(オパルパル)の「欲望の寿命」が間もなく尽きようとしています。
588(オパルパル)地区は今年末にはソウルの地図上から消えて無くなると言われています。
大規模な再開発計画のためこの地区には、2019年までに65階建の住商複合施設の建設が計画されているのです。
1970年代にはタレント級のアガシが働いていたと言う588(オパルパル)。当時は美しいアガシが多く、、、沢山の夜遊びする男性客で賑わっていたそうです。
しかし現在、588(オパルパル)で客の姿を見かけることはほとんどありません。
588(オパルパル)の入口に「青少年の通行禁止区域」という古い鉄製の看板が立っているものの・・・通りは閑散としています。
最盛期には150店以上の風俗業者と、500人以上のアガシがひしめいていたソウルの風俗 588(オパルパル)。そのほとんどが地区を離れたと言われています。
現在では40店余りの業者、70人余りのアガシが残っているのみです。
30年間588(オパルパル)で商売を続けてきた風俗業者の朴某(68歳/女性)さんは、再開発計画発表後、客足がほとんど途絶えてしまったと言います。
かつての青春の残像を探し求めるように50~60代の中年男性がたまに588(オパルパル)を訪ねて来るそうですが、
「最近は不景気で、、町全体ひっくるめて一晩にお客さんが10人に満たない時も多い」と朴さんは話します。
朴さんは20歳の時、出稼ぎのために故郷を離れソウルにやって来ました。
裕福な家庭で家政婦として働き、、、、また食堂でも働きましたが、「いい仕事がある」と聞いて、清凉里588(チョンリャンリ・オパルパル)のアガシとして働き始めました、、、.
生活するのも苦しい時代だったそうです。
朴さんは懸命に働き、稼ぎは故郷の弟たちのために送金しました。その頃は厳しい生活をする女性は朴さんだけでは無かったそうです。
朴さんは「最初はソウル市内で働きました。そこの風俗業者たちは親切だったし、、、お客さんも、マシなほうでした。 そこに大きなビルが建設されたため、ここ588(オパルパル)に引越して来たんです。
当時はとても貧しくて全くお金のない時代、何も知らない幼い少女が闇雲にお金を稼ぐため、売春を始めたんです。歳をとって風俗業者になりましたが、状況は変わっていません。
ここを故郷の様に感じているので離れたくないんです。」と語りました。
ところで、どういった経緯で地名「清涼里(チョンリャンリ)」に数字「588(オパルパル)」がついて呼ばれるようになったのでしょうか?
現在の住人に尋ねても知っている人はいませんでした。
韓国ソウルで最も古く、歴史ある代表的な風俗通り、清凉里588(チョンリャンリ・オパルパル)は1970年代に作られたと言われています。
1950年韓国戦争以後1960年代まで、ソウルの代表的な風俗街は、東大門(トンデムン)区昌信洞(チャンシンドン)、ソウル駅前の陽洞(ヤンドン)、中(チュン)区墨洞(ムクトン)でした。
1968年のソウル市の取締りに伴い、アガシは今の清凉里(チョンリャンリ)駅や彌阿里(ミアリ)駅などに流れてきたと言われています。、、
ソウルの都市空間を研究してきた学界でも、固有名詞になってしまった「清凉里588(チョンリャンリ・オパルパル)」の由来は、はっきりとは分かっていません。
清涼里(チョンリャンリ)一帯の風俗通りが典農洞(チョンノンドン)の588番地近くにあったことに由来するという説が有力とされていますが、実際には東大門(トンデムン)区電動2洞620、622~624番地に広がっています。また一方で、この地域の前を588番の市内バスが通ることに由来するという説も提唱されています。
かつて「清凉里588(チョンリャンリ・オパルパル)」は、京東(キョンドン)市場や清涼里(チョンリャンリ)市場の業者と利用客、また春川(チュンチョン)と東海(トンヘ)に向かう若い男性で賑わい、1980年代空前の繁栄を迎えましたが、一方で1980年代以降、再開発と撤去の危機に度々見舞われてきました。
ソウル市は1981年整備計画を発表しましたが、これは失敗に終わりました。
また1994年、都心再開発区域に指定されましたが、風俗店のアガシと周辺業者の激しい抵抗でこれも撤回されました。
その後、再開発に力が入れられたのは2004年売春特別法施行後になります。
2007年ソウル市により一部業者の撤去が実行され、昨年9月東大門(トンデムン)区が再整備事業施行認可を告示し数十年ぶりに一帯が整備されました。
清涼里(チョンリャンリ)588(オパルパル)の住人たちは一層悲嘆にくれました。
数少ない30代アガシ、そして大多数を占める60代までの売春エスコートアガシが座るピンクのガラス張りの部屋の前を通って、
ロッテデパートの路地裏に入れば、古びたマンションが現れます。ここが年老いた売春アガシとの客引きが住む場所です。
風俗業者によると、、、最近は1日4万ウォン(日本円で約4千円程)も稼ぐことが難しいのだそうです。
生涯588(オパルパル)を拠点に商売するアガシと風俗店のオーナーは「588(オパルパル)がなくなれば風俗業はできなくなる。」と話していました。
ある業者は「若いアガシは588(オパルパル)がなくなっても按摩やオフィステル・エスコートアガシで働きつづけることができますが、
一定の年齢以上のアガシは田舎マッサージパーラーや旅館バリのようなところに行くしかないのではないのではないか。」「588(オパルパル)はもう本当に最後だと思う。」と話しています。
また、あるアガシは「素敵な老紳士が40年ぶりに、昔の思い出を回想するように訪れることもある。」「沢山の韓国男性たちの思い出と青春時代の涙の居場所がなくなってしまった。」と話していました。
韓国ソウルで最も古く、、、歴史ある風俗通り588(オパルパル)がなくなることを、長い間588(オパルパル)の住人たちと共と生きてきた周辺業者たちも悲しんでいます。
ほとんどの風俗業者が間もなくここから撤退するそうです。
韓国ソウルの最も古く、歴史ある風俗通り588(オパルパル)、、、、残念なことに、588(オパルパル)は
韓国男性たちの思い出たちの中だけのものになろうとしているのです。